NPO法人インビジブル – とみおかくらし情報館
挑戦を迷っている人には、まず一度飛び込んでみてほしいです。

NPO法人インビジブル

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日向 志帆さん

富岡町は弱さや迷いも受け止めてくれる

私が富岡町と出会ったのは、大学時代に隣町・楢葉町で活動していた先輩のところへ遊びに来たことがきっかけでした。彼女の姿を見て“地域でクリエイティブに関わる生き方”に憧れたんです。当時、山形の大学でコミュニティデザインを学んでいて、震災後のまちづくりに関心があり、気仙沼などを巡っていました。楢葉に通ううち、富岡の人たちと出会い、富岡町が自分の生活と重なり始めました。

その頃、「NPO法人インビジブル」の「PinSプロジェクト」を知り、子どもたちへの教育の現場を体感したくてインターンを開始。学校から現地で学ぶことを勧められ、昨年7月から富岡で暮らし始めました。大学には在籍しながら、ゼミはオンラインと月1回山形に戻る生活。まちの人とイベントや子ども食堂に関わり、多くの経験を積みました。その後進路を決める頃に、富岡町は私の中で大きくなっていたので、「いつかは帰りたい町」と思っていました。

ですが、夜の森にある建物などが解体されていく様子を見た時、「いつか戻る場所」じゃなくて「今、この町で生きたい」と思うようになったんです。外から来た学生の私に対して、町の皆さんが気にかけて優しく迎え入れてくれたことも、大きな要因でした。最初は、外から来た自分は何か大きなことを成し遂げなければいけないと勝手に思い込んでいました。でも、この町では弱さや迷いも受け止めてくれる人が多いんです。「ちゃんと悩んでいい」「弱くてもいいんだ」と思えた実感が、私の心の居場所と思えた時でした。

いろんな人が混ざりながら学べる場

私の活動の場として「月の下アートセンター」があります。ここは、誰かとものをつくったり、初めて会う人と話したり、一人で静かに考えたりと、思い思いに過ごしながら日常のアイデアを形にしていく場所です。月2回のオープンデイでは、展示やワークショップ、アートブックの閲覧など、人がゆるやかにつながる時間を開いています。小学生の個展や大学生の研究発表など、学びや表現の場も生まれています。名前の「月の下」はすぐそばの交差点の名前からきていて、この場所が交差点のように人々をつないでいくイメージから名付けました。どこにでもある月の下で、それぞれの時間と表現が出会うような、そんな土着的でありながら普遍的な名前です。アートセンターとしての側面がありつつ、児童館っぽい雰囲気もあります。でも子ども専門ではなく、子どもから大人まで学べる場所であることを大事にしています。そのバランスを考えながら、アイデアを形にしたり、種をまいたり、学びを生み出していく文化活動を続けています。本当にいろんな人が混ざりながら学べる場になっている、そんな場所です。

自分の感じるものを大事にすること

実は、「アート」というものにちゃんと触れたのはこちらに来てからでした。大学時代はまちづくりや教育に興味があり、アートという言葉さえ「よくわからない領域」だったんです。でも、富岡で活動を重ねるなかで、その意味が少しずつ変わっていきました。例えば影絵アーティストの川村亘平斎さんと夜の森を練り歩いた時です。夕方に町を歩くのですが、街灯もほとんどない更地で、ニュースとして切り出されると、「課題」として捉えられると思います。ですが、町の暗闇に映る影が、不思議と「見えない存在」を想像させてくれた瞬間がありました。ネガティブに語られがちな更地の風景が、まるで別の場所のように見えたんです。その経験から、私の中で「アート=作品」ではなく「見方が変わる出来事」だったり、「自分の感じるものを大事にすること」なのかなと思っています。

見ていた景色が変わるきっかけを

地域の魅力を探る上で、「町が動いた」とまでは言えないんですけど、確かに何かがつながっていると感じる瞬間がありました。変化は一気ではなく、じわじわと来るんです。去年、アートセンターで小学生の男の子が、自分の集めた石を並べて説明していました。彼はとにかく石が好きで、「僕の石を見てほしい」と、自分が集めた石のコレクションを展示したんです。「これは木戸川で拾った石」「これは富岡の漁港の近く」と説明するんですけど、私も分からないような石まであって。彼は「石を好きになるって何だろう」というテーマで展示していたんですけど、どうしてそうなったのか振り返ってみると、いろんな要素が重なっているんだと思いました。

アートセンターがあることで、「みんなで作るっていいよね」という空気があって、さらにアーティストさんが、変電所の裏山で採れる鉄鉱石をそっと置いていった。それが彼の目に留まって、何かが刺激されたみたいなんです。はっきり因果関係は言えません。でも、「自分も何かやってみてもいいかも」という思いが、少しずつ町の中に芽生えている。そうやって個人の気づきが積み重なっていくことが、未来の町を形づくっていく気がしています。鉄鉱石のような小さな存在でも、「これが町のものなんだ」と目を向けるだけで、今まで見えていなかった景色が変わり始める。そんな瞬間が大事だと思っています。これは子どもだけではありません。影絵の練り歩きの際には、お年寄りが震災前の夜の森の記憶を自然と語り始めました。何気ないきっかけで心の奥に眠っていた記憶が呼び起こされ、言葉になって外に出てくる。その姿を見て、自分の知らない町を、記憶を通じて知ることができるのは、とても面白く、嬉しい体験でした。

「時の海プロジェクト」

この場所は、美術館づくりを進める「時の海プロジェクト」の拠点でもあります。インビジブルも関わっていますが、別の団体が主導していて、毎月2日間だけ一般に開放している場所が「月の下アートセンター」です。このプロジェクトには、現代美術家・宮島達男さんが関わっていて、東北にゆかりのある人たち3000人に協力してもらいながら、大きな作品を制作しています。その作品を展示するための場所を探す中で、たまたま富岡に条件の合う土地が見つかり、美術館をつくろうとしている最中なんです。美術館を応援する地元の人たちが集まる「美術館を応援する会」も立ち上がっていて、今は140人ほど参加しています。月に一回集まって草刈りをしたり、星空観察会や芋煮会を楽しみながら、活動に関わり続ける場になっています。

富岡でよかった

私の大学は論文ではなく「作品展示」で卒業するスタイルなのですが、今年2月、大雪の山形で卒業展示をした時、富岡から多くの方が来てくれたんです。雪で来られなかったけれど「行きたかった」と言ってくれた方までいて、遠くまで足を運んでくれたことが、とても嬉しかったです。「私はもう部外者じゃない」「町との関係ができたんだ」と実感しました。日々の暮らしの中でも人とのつながりを実感する場面があります。私の住むあたりには単身の人も、家族で暮らす人もいて、月に一回、誕生日パーティーのような集まりがあります。震災後に移住してきた人たちが多く、親戚の正月みたいな温かい雰囲気でお酒を飲んだりするだけなのに、とても心地いいんです。こうしたコミュニティが暮らしに根づいていることが、「富岡で良かった」と思える理由のひとつになっています。

一緒にできる仲間がここにはいます

今はアートを軸に活動していますが、これからは教育や子どもたちを中心にした取り組みも広げていきたいと思っています。先日も中学生から「アートな街をつくりませんか?」と言ってくれて、彼女たちと一緒にまちの姿をつくっていける可能性を感じました。選挙権のない世代が、まちにアクションできる土壌を育てていきたいです。

大学時代にこの町で暮らしていた経験から、富岡は学びや出会いが多い場所だと実感しています。不安があっても受け止めてくれる人が多く、子育てや研究、人生の転機にも寄り添ってくれる仲間がいる。相手のことを自分のように考えてくれる人が多くて、私もその関わりに助けられてきました。挑戦を迷っている人には、まず一度飛び込んでみてほしいです。やりたいことが固まっていなくても、来てみれば何かが見えてくるはずです。リサーチのような手探りも、一緒にできる仲間がここにはいます。最初の一歩が難しいかもしれませんが、とりあえず常磐線に乗って、富岡駅で降りてください。お迎えに行きます。

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