福島県富岡町で生まれ育ち、東京での活動を経て2020年にUターンした千葉沙織さん。現在は町内の放課後児童クラブで働きながら、夜の森地区にある施設の管理人も務め、幅広い世代と関わりを持っています。
震災後、大きく姿を変えた故郷に戻ってきた千葉さんが直面したのは、「知っている景色の中に、知らない人がいる」という戸惑いでした。 一時は町との関わり方に悩み、立ち止まった時期もあったと振り返ります。
しかし現在、千葉さんは震災前からの住民と新しく移住してきた人々をつなぐ架け橋になろうと、自ら一歩を踏み出しています。富岡町の“今”を見つめる千葉さんに、Uターンの経緯や、町への思いをうかがいました。

色褪せない記憶と、「知っているのに知らないまち」になった故郷
——千葉さんは富岡町の清水地区で育ち、高校卒業後、大学進学を機に富岡町を離れることになったそうですね。Uターンを決意された経緯を教えてください。
千葉さん: 直接のきっかけは2020年のコロナ禍です。東京で劇作家として活動していたのですが、劇場に集まることができなくなり、今後の活動をどうしようかと悩んでいました。そんな時、友人から「書く仕事ならどこでもできるよ。福島に戻ってみたら?」と背中を押されたんです。
そして何より大きかったのは、両親の存在でした。母は富岡町の出身で、2017年の避難指示解除に向けてずっと帰町の準備をしていました。正直なところ、最初は「知り合いもいないし、インフラもまだ整っていないから」と、両親が戻ることには反対していたんです。でも、母の「どうしても富岡に帰りたい」という強い思いに触れ、それなら応援しようと。その後、やはり両親だけで暮らしているのが心配になり、ちょこちょこ様子を見に帰るうちに、私自身の身辺整理のタイミングも重なって、2020年の秋に実家へ戻ることに決めました。
——千葉さんにとって、震災前の富岡町はどんな記憶として残っていたのでしょうか? 思い出深い場所はありますか?
千葉さん: 一番は、子どもの頃の遊び場だった「子安観音」ですね。母の実家の近くにあって、いとこたちとよく境内で遊んでいました。安産の観音様として女性からの信仰が厚く、いつもお供え物があって、とても居心地の良い空間でした。今は観音様を一時別の場所に移して、再建中だと聞いています。
他にも、夜に聞こえてくる海の音や、自転車で走り回った駅前の風景など、私の中に鮮明に残っている大切な記憶がたくさんあります。







——そのような子どもの頃の記憶を大切に抱えたままUターンして、富岡町での今の生活はいかがですか?
千葉さん: 最初の数年間は、本当に葛藤の連続でしたね。同世代の友人たちは避難先で生活の基盤を築いていて、町にはほとんど戻ってきていません。町のお祭りに行っても同級生に会えないというのは、想像以上に切ないものでした。
そして、一番しんどかったのは「知っている景色が部分的に残っているのに、そこにいるのは知らない人たちばかり」という状況です。全く知らない土地に移住したのなら「ゼロから人間関係を作ろう」と割り切れるのですが、自分の中に昔の町の記憶がある分、そのギャップを埋めるのにとてもエネルギーを使いました。「町とどう関わればいいのかわからない」と悩み、最初の5〜6年は町のイベントなどにもあまり参加できずに、一歩引いて過ごしていました。
子どもたちが教えてくれた「私がここにいる意味」


——そこから、町との関わり方が変わっていったきっかけは何だったのでしょうか?
千葉さん: 自分の役割について深く考えたことですね。このまま何も関わらずに不満ばかり抱えていては心がダメになってしまうし、自分がここにいる意味を見出せないと思ったんです。 私が戻ってきた2020年以降、町には移住された方々のお子さんも増えてきています。今いる子どもたちは私にとって“古里の後輩”になります。だから、「1ミリでもいいから、この町で育ってよかったなと思ってもらえる環境を作りたい」と勝手に使命感を感じたんですよね。それもあって、放課後児童クラブで働き始めました。
——放課後児童クラブでの子どもたちとの関わりは、千葉さん自身にどんな変化をもたらしましたか?
千葉さん: 子どもたちを通して、町と自分がもう一度つながり直せている感覚があります。例えば、先日花火大会の会場で、児童クラブの子どもたちが「あ、千葉先生だ!」と声をかけてくれたんです。そうやって知っている顔が増えていくことで、「あぁ、私は今、この町と新しい糸でつながっているんだな」と実感できました。 今は、この子たちが成長していく姿をそばで見守るだけでも、富岡にいる大きな意義があると思えるようになりましたね。
新しい住民と以前からの住民をつなぐ。小さなコミュニティづくりの一歩

——最近では、町の行事や新しいプロジェクトにも積極的に参加されているとうかがいました。
千葉さん: はい、少しずつですが動き始めています。今年は初めて盆踊りのボランティアにも参加しました。朝から晩まで動いてとても大変でしたが、小浜風童太鼓の皆さんをはじめとして、町の伝統文化を残そうと必死に汗を流している人たちの姿を間近で見て、「私ももっと積極的に関わらないといけないな」と強く胸を打たれました。頭の中で考えているだけではなく、実際に体を動かして現場に身を投じることで、初めてわかる肌感覚があるんですよね。
——新旧の住民をつなぐような取り組みも考えているそうですね。
千葉さん: そうなんです。今、町には震災前からの町民の方々と、新しく移住してこられた方々が混在していますが、お互いの顔を知る機会がまだまだ少ないと感じています。防災や防犯の観点からも、近所に誰が住んでいるのかわからない状態は不安ですよね。 そこで、いきなり大きな規模でやるのではなく、行政区ごとの小さな単位で集まれる場を作れないかと考えています。
例えば、各行政区の集会所で、以前からの住民と新しい住民が集まって芋煮会をしながら、地区の歴史を共有するような企画です。昔の話なら年配の方々も喜んで話してくれますし、移住してきた方も町のルーツを知ることができます。
町では大きなものから小さなものまで様々なイベントが開催されていますが、根っこの部分で人と人がつながっていなければ、本当の意味での地域づくりは進みません。私はその潤滑油として、新旧の住民を滑らかにつなぐような役割を、少しずつでも担っていけたらと考えています。
腹を割って話せる環境を耕す。「めんどくさい」と言い合える、本当のまちを目指して

——最後に、これから富岡町への移住を検討している方へメッセージをお願いします。
千葉さん: 富岡町は今、まさに新しい町へと生まれ変わる過渡期にあります。だからこそ、きれいごとばかりではなく、時には意見がぶつかることもあるでしょう。でも、私はそれでいいと思っています。 「いいところだけを探そう」と優等生になるのではなく、悪いところも含めて共有し、腹を割って話す。お互いに「めんどくさいね」と言い合えるような、人間臭い関係性が築けて初めて、そこは本当の「まち」になるんだと思います。
昔の田舎には、近所の子どもを本気で叱ってくれるような、あたたかいおせっかいがありました。そんな忌憚なく意見を言える環境を、ここからまた一緒に耕していけたら嬉しいです。知っている人がいる安心感、「うるさいな〜笑」と言い合える懐かしさ。そんな人間関係の温もりを、ぜひ富岡町で一緒に作っていきましょう。
おわりに…
飾らない言葉で、時に笑いを交えながら「今の富岡町」への真っ直ぐな思いを語ってくれた千葉さん。良いところも悪いところもひっくるめて受け止め、新旧の住民をつなぐ“潤滑油”になろうとするその姿は、これから移住を考える方にとって、とても心強い存在だと感じました。きれいごとだけではない、人間臭くてあたたかい“本当のまちづくり”。移住を少しでも考えている方は、ぜひ一度富岡町を訪れ、等身大の町の人々と直接言葉を交わしてみてください。きっと、あなたに合った暮らし方や、ここならではの「役割」が見つかるはずです。
写真:鈴木宇宙
インタビュー・文:遠藤真耶(合同会社knot)