富岡町の地理、自然、景観
富岡町は、福島県浜通り地方の中央に位置し、青く澄んだ太平洋と緑豊かな阿武隈山脈の間に広がる面積68.39km2、人口約2500人の町です。
町を二分して太平洋に注ぐ富岡川や阿武隈山地を流れる滝川渓谷、大倉山、麓山などの山々、断崖絶壁の海岸線、離れ島が散在する浜辺などの豊かな自然に恵まれています。
年間降水量1533mm/年間平均気温13.8℃で、積雪は少なく四季を通じて暮らしやすい温暖な土地です。
町の木
サクラ
明治33年、夜ノ森が開拓された際に植えられた桜が今では町のシンボルとなった。毎年開花と同時に見物客で賑わう。
町の花
ツツジ
全国花いっぱい「花と緑の駅」コンクールで日本一に輝いたJR常磐線夜ノ森駅のツツジは、旅人の目を楽しませる。
町の鳥
セキレイ
水辺に生息するセキレイは、富岡川の清らかな流れとチチチッと爽やかなさえずりが人々の心を和ませる。
まちの歴史
富岡町は気候の変動が少なく、江戸時代から大正時代にかけて農地開発も進んだ農業が盛んな地域でした。雪は少なく、夏は過ごしやすいのが特徴です。
一方で、同じ町内でも、海岸線や台地、里山など地区によって暮らしの環境が様々です。
江戸時代、現在の富岡町域には10前後の村がありました。
宿場を持つ小浜村、農漁村の色合いが濃い小良ヶ浜村、比較的規模の大きい本町村、新田開発が成功した千里村、本岡村、富岡宿の助郷だった下郡山村、西への道沿いに位置した赤木村、杉内村などで、現在の行政区名につながる村名が多く見られます。
富岡村は明治33年(1900)に富岡町、上岡村は昭和25年(1950)に双葉町にそれぞれ改称。昭和30年(1955)に富岡町(6,698人)と双葉町(6,215人)が合併して現在の富岡町となりました。
夜ノ森の桜の歴史
「半谷清寿が開拓した夜の森の桜は明治時代、今の南相馬から開拓のため入植し、300本の桜を植えました。
夜の森の由来は北側の相馬中村藩と南側の岩城藩がこの土地の領有を巡って争い、「余(自分)の森だ」と主張した言葉が転じて「夜の森」と呼ばれるようになりました。(諸説あります)
まちの行事
富岡町の伝統行事
麓山の火祭り
夏のイベントのひとつとなっていますが、その歴史は古く、400年続いているといわれています。神事でありながら仏教の盆踊りで締めくくるという神仏習合の影響が現在でも見られる伝統行事です。
お祓いを受けた浄火を大松明に燈して、ご神体を先頭に「千灯(せんどう)、千灯」の掛け声とともに頂上を目指して駆け上がります。頂上では万歳三唱をした後また一気に駆け下り、その後、境内を三十三周し神事の終焉を迎え、盆踊りへと移行します。