富岡ICを下りて県道36号線を東に進むと、突如大きなハウスが並ぶ一角が現れます。そのハウスではなんと、パッションフルーツが栽培されているというのです。
パッションフルーツといえば、南国で採れるというイメージが強いですが、東北の富岡町でも育てられているだなんてびっくり。しかも、オーナーの高橋さんの本業は解体工事業なのだそう。解体工事業と農園。一見結びつかないふたつの事業ですが、パッションフルーツ栽培には、高橋さんの富岡町に対する想いが込められていたのでした。
パッションフルーツに魅せられて
—なぜ富岡町でパッションフルーツ栽培を始めたのですか?
高橋さん:去年の8月に、会社内に「農業事業部」を立ち上げたんだ。うちの農場長である泉澤さんが自宅でパッションフルーツの苗を鉢で育てていたんだよね。そこでできた実をもらって食べたら実に美味しかった! 南国的な味にとても魅了されて、これは俺も作ってみたい! そう思って、苗を譲り受けて始めたんだ。
パッションフルーツはつる性植物だから、どんどん育つのもやってみたいと思ったポイントだね。木になるフルーツだと、植えてから実がなるまでに何年もかかってしまうけど、つる性植物は定植したその年から収穫できるからね。
それから、町でまだ誰もやっていないことをやりたかった。富岡町は農業の復興再生を目指しているから、ちょっと違った目線の農作物をやってみたいなと。富岡ではこんな面白いことをやってるんだと発信したいというのもあったかな。
—パッションフルーツの栽培方法はどこかで習ったのですか?
高橋さん:はじめは農場長からレクチャーを受けたんだ。農場長は自宅で15年前から育てていたからね。ほかにはスマホで検索してみたりね。スマホはすごいね、知りたいことをなんでもすぐ調べることができる。
パッションフルーツは葉っぱに虫がつきにくいから農薬を使う必要がない。無農薬で育てられるんだよ。挿し木すればあとはどんどん育つしね。実ったパッションフルーツを知人たちにご馳走したら、みんな初めて食べる味に驚いて、とても美味しいと言ってもらえたのも、本格的に始めるきっかけになったね。
—現在はどのくらいのパッションフルーツを栽培しているのですか?
高橋さん:今はだいたいハウスが1,000平方メートルある。今年はその中の250平方メートル分くらいがうまく育たなかったんだけど、それでも300kgは実が収穫できた。個数でいうと、1個100gくらいなので3,000個。これから土作りをやり直して定植しなおすから、来年は1,000平方メートル全てで収穫できると思う。
今年は大きいもので1個130gの実ができた。糖度も16度以上のものが多く収穫できるようになってきたから、今後はもっと期待できると思うよ。
支援制度を最大限に活用し、栽培にチャレンジ
—ハウス栽培をするにあたって、どのような支援制度を利用しましたか?
高橋さん:令和元年に「福島県原子力被災12市町村農業者支援事業補助金」を申請したんだ。決定すると3/4の金額を支援してもらえる。うちは3,000万円申請したので2,250万円の資金を補助してもらった。あとは手持ちの資金をプラスして。
農業を仕事にするには、5,000平方メートルはないと採算が取れないと言われているんだ。予定していた土地だと若干足りなかったから、隣の土地の田んぼを借りて、農業委員会からも許可をもらい、それから補助金を申請したんだよ。
—実際に栽培にこぎつけるまで苦労されたことは?
高橋さん:双葉郡の復興事業の一環で、本業の解体工事業を行いながら農業部門に取り組んでいたので、全社員の協力なしでは成しえなかった。ハウスへ定植するための苗木の確保、土壌づくり、定植してからの温度管理。大変なことはたくさんあったね。
無事に定植できて、これから育つのを待つばかりというときに、モグラとネズミによる苗木への食害があったりして、何度も苗木の植え替えをしなければならなかった。ネズミ捕りを仕掛けたり、ペットボトルで作った風車をいくつも地面に刺して振動させてモグラの活動を鈍らせたり。大変な思いをしたよ。
でも、モグラの食料であるミミズがたくさんいる土は「いい土」ということだからね。だからモグラが寄ってきちゃうのは、この農園の土が「いい土」であることの証拠でもあるんだけどね。
みんなで集まって作業できる場をつくりたい
—パッションフルーツの受粉は全て手作業だそうですね。
高橋さん:そうそう。10:00〜12:00の間に花が咲くの。咲いた花から花粉ができるようになるのが午後。だから13:00〜14:30の間にその日に咲いた全ての花の花粉づけをしないとうまくいかない。全部手作業だから大変だね。
この受粉作業を、ゆくゆくは町内のみんなでできたらいいと思ってるんだ。みんなで集まって、ワイワイしながら作業する。そういう場をつくりたいんだよね。奥様方が集まって井戸端会議しながら作業したりね。これからもっと畑の規模も大きくしたいと思っているから、みんな手伝いにきてよ(笑)。
—県内のテレビでも取り上げられましたし、注目度が上がってきている気がします。
高橋さん:町の観光協会が力を入れて宣伝してくれているのがありがたい。ホームページを作って、インターネットからでも購入できるようにしたんだ。買ってくれた人から「美味しかった」って電話をいただいたりしてね。嬉しかったなぁ。わざわざ電話をくれるなんてなかなかないことだよね。
日本だと、沖縄でパッションフルーツを食べたことがあるという人が多いんだけど、「沖縄で食べたものと同じ味がする」って言ってもらえて。東北で作ったパッションフルーツが沖縄で作っているものと同じくらい美味しいっていうのは自信になるよね。
それから、ふるさと納税の返礼品にもできたらいいなと考えているんだ。手間暇かけて丁寧に作ったパッションフルーツを、もっとたくさんの人に食べてもらいたいね。
富岡町に住む人たちに働く場を提供したい
—これからパッションフルーツ栽培をどのように発展させていきたいですか?
高橋さん:汚染土壌の撤去作業で、以前からの良い土を剥ぎ取らなければならなかったから、ハウス内の土壌改良をこれから実施しなければならない。本業との兼ね合いを見ながら毎年ハウスを少しずつ増やして、3年後には採算ベースにもっていくつもり。
商工会や観光協会、浪江の道の駅やインターネットでの販売を行いながら、多くの人たちに喜んでもらえる商品を作っていきたいと思ってる。パッションフルーツを加工して、ジュースやシロップを作ったり。早く安定した生産ができるようにして、地元に戻ってきてくれた人や移住してくれた人たちの働く場の提供、町の観光の一翼を担えるような農園を目指していきたいね。
—高橋さんから見て、震災後、富岡町はどう変わってきたと思いますか?
高橋さん:役場周辺には先端技術産業が集約されてきたし、ある程度の医療施設もできてきた。郊外には豊かな自然もあって、住民みんなで協力しあえる昔ながらの里山的な生活がある。そういった今あるものと行政の政策がマッチすれば、もっと魅力的な町になると思うよ。
—ホームページに「夢に向かって栽培」と書かれていましたが、高橋さんの「夢」とは?
高橋さん:町外生活をせざるを得ない人たちが戻ってきて、富岡町にこんなうまいものがあるんだと知って欲しい。それを食べて「あぁ、うまいなぁ」って思って欲しい。富岡町に住んでいた人も、町外の人も、町に興味をもってくれるきっかけのひとつになりたい。それが夢だな。
—移住を考えている方や、何か新しいことにチャレンジしたいと思っている方に向けて、メッセージを。
高橋さん:まずは「思いついたらやってみる」ということだな。考えすぎたって、実際に行動してみなければどうなるかわからない。富岡町にはいろんな事業支援もあるし、遊休地もたくさんある。採算ベースに乗せられる特徴的な農業をやれるチャンスがあると思うよ。最初は自分で投資することも少しは必要だけれど、それでうまくいけばもう少し頑張ってみよう、これで飯を食っていこうと思える。
パッションフルーツでよければ、苗だって売ってあげるし、栽培方法も教えるからいつでも来て欲しい! とにかく思いついたらまずやってみることが大切だよ。富岡町にはチャレンジできることがたくさんあると思うよ。
文:地域おこし協力隊 遠藤 真耶
株式会社 サン・クリーン
代表取締役 高橋雅裕さん
(「高」ははしごだか)
平成14年3月に解体工事業を営む「株式会社 サン・クリーン」を創業。富岡町上手岡地区の避難指示が解除された後、「富岡町の新たな名産をつくりたい」とパッションフルーツ栽培をスタート。たくさんの笑顔であふれる富岡町を目指し、「富岡町に戻ってくる人たち・移住してくれる人たちのために働く場をつくる」という夢に向かって現在も奮闘中。