REPORT&MESSAGE

あなたへ、地元のみんなから

一般社団法人ふたすけ 鈴木 亮さん・香織さんご夫婦

この町を愛している大人の背中を見せながら子育てをしたい

富岡町では徐々に、ご家族で移住する方も増えてきています。家族3人で移住し、ふたば地域サポートセンター「(一社)ふたすけ」として活動している、鈴木亮さん・香織さんご夫妻に、移住のきっかけや、外からきたからこそわかる富岡町の魅力を話していただきました。

福島の有機農家さんがつないだ”縁”

—福島県や富岡町と関わるようになったきっかけを教えてください。

鈴木亮さん:「国際青年環境NGO A SEED JAPAN」という、東京に本部のある団体でカミさんと知り合いました。僕は’98年から20年来その団体に関わっていまして、カミさんは東日本大震災のあった2011年からですね。

「苧麻倶楽部(ちょまくらぶ)」さんという福島の昭和村で活動している団体と一緒にフジロックフェスティバルに出店したり、会津若松の「末廣酒造」さんに寝泊まりして日本酒作りを体験したりなど、そこから福島との縁がスタートしました。

それから、2008年に「全国有機農業推進協議会」というオーガニックを推進する団体に入り、2009年 福島県有機農業ネットワークのお手伝いをするようになりました。福島県内のたくさんの有機農家さんたちと知り合ってその活動を紹介していたんですが、2011年に震災があって・・・

僕は自称「環境オタク」です。原発の事故でとんでもないことになることがすぐに想像できました。縁の深かった福島で自分に何かできないかと模索していたところ、二本松を中心とした農家さんたちが、浜通りから避難してきた人を支援しながら、「自分たちは農業を続けるんだ!」と立ち上がったんです。

その当時、自粛しなさいという国からのお達しを突っぱねて、農業を再開してくれた人たちがいたんですね。実際にその年の収穫物の放射線量を測定したところ、想定よりもかなり低かったんです。それはなんでだろう? どうしてここで採れる農産物は大丈夫なんだろう? とみんなで研究しました。こうした有機農家さんたちとのご縁を通して、もっと福島に深く関わるようになっていきました。

鈴木香織さん:私は、福島には震災後の2012年に訪れました。私も環境問題に関心があって、原子力発電のことも少し勉強していたんです。社会人1年目で震災と原発事故が起こって、自分はどう向き合っていけばいいのだろうと考え続けました。そのときに「A SEED JAPAN」のことを知り、環境ボランティアを始めたんです。亮さんもボランティアで入っていたので、そこで知り合いました。

当時私は、福島に行くべきなのか、行ってもいいのか、もんもんとしていました。福島産の農産物を食べていいのかも気になりましたし。でも、実家の埼玉にいるままでは福島の実情を知ることができなかったので、福島の農家さんと繋がりの強い亮さんを頼って、現地に行ってみることにしたんです。それが2012年3月。福島の有機農家さんたちが開催する大会に参加して、いろいろ学びました。

その後、「震災後も地元で農業をやるんだ!」と二本松市にUターンしていた私と同い年の女性のお手伝いも兼ねて、福島の現状や農家さんたちの取り組みを東京で伝えるという活動を亮さんと一緒に5年ほどしました。

笑顔

子供が生まれ、家族一緒に富岡町へ移住

—ご結婚はいつ頃?

亮さん:2011年11月に出会って、2015年8月に籍を入れ、2016年2月に結婚式を挙げました。そして2019年3月に娘の「郷(きょう)」が生まれました。

香織さん:私のことを一番理解してくれているのは亮さんだなと思います。だからずっと一緒にいられるのかなって。

亮さん:環境問題に関心があるなど、お互い通ずるところがあったのが決め手だと思います。

—富岡に移住されたのはなぜですか?

亮さん:富岡町で復興活動をしている平山勉さんとの出会いが大きいですね。復興支援団体が、全国と福島県とを繋ぐものだとしたら、平山さんは県内の市町村同士や隣近所をつなぎ合わせるという、よりきめ細かい活動をされていました。初めは平山さんの魅力に惹かれてという感じでしたが、だんだんと「離れがたい。ここで暮らしていきたい」と思うようになり、本格的に富岡町に関わるようになりました。

—亮さんの方が先に富岡町で暮らすようになったということですか?

亮さん:そうです。東京で環境NGOの仕事をしていたので、移住する前は東京から通っていました。震災から5年が経った頃、そろそろどうするか今後のことを考えないといけないなと。

—最初は夫婦別々で暮らしていたのですか?

香織さん:はい。東京での仕事にとてもやりがいを感じていたので、私は東京に残りました。亮さんも自分の仕事にやりがいを感じているからこそ、富岡町で暮らすようになったんだと思います。

亮さん:子供もできたので、そろそろ決断しないとと。選択肢は3つありました。1.東京で一緒に環境団体で働きながら時々福島に行く。2.福島と東京に分かれたまま暮らす、現状維持。3.富岡町で家族一緒に暮らす。家族一緒に富岡で暮らすというのは、実は3番目の選択肢だったんです。

鈴木亮さん

—家族での富岡移住が、3番目の候補から1番になった理由は?

亮さん:富岡町との関係を断つという選択肢はありませんでした。なので、東京に戻っても通い続けるか、富岡に移住するか、どちらかしかないですよね。

生まれたばかりの0歳児を連れてくることには、環境団体や農業関係の方々からも反対されました。それもあって、移住までの期間が長引きました。お金の節約のために高速道路を使わず、一般道を通って月に3回くらい通っていたのですが、そうすると長時間の運転で疲れて事故を起こす可能性が高い。これは続けられないと思い、こちらで一緒に暮らすことを考えてほしいと香織さんに相談しました。

鈴木香織さん

—香織さんは、亮さんから富岡移住の話が出たとき、どう思われましたか?

香織さん:自分の中ですごく葛藤しました。私は家族一緒に暮らしたいというのが一番。亮さんの洗濯物を洗って、亮さんのご飯を作って、という当たり前のことがしたいだけなのに、なんでこんなに悩まなきゃいけないのかと思って。正直、私の実家の埼玉か、亮さんの実家の鎌倉に住めないかなと思っていた時期もあります。でも、やっぱり亮さんは富岡に住むって言うだろうなと。

どこで私の考えが変わったかというと、「お試し移住」をしてからですね。亮さんから、実際に富岡を見にきて欲しいと言われて、お隣の楢葉町のまちづくり団体さんが実施していたお試し移住を1週間体験しました。

そこでは、私よりも年下の女性が移住してまちづくりに関わっていて、「移住者のエネルギー」を感じたんですね。平山さんとも会ってお話をお聞きしたら、これからこの町をどうしていくのかということをすごく本気で考えてらっしゃって。とても楽しそうに未来について話してくださったんです。富岡町の人たちは、どんな立場の人も拒まないというか、懐の深さを感じました。富岡の人の魅力に惹きつけられてしまったんです。

環境団体に所属していたとき、富岡町にも何度か訪れたことがあったのですが、そのときはまだ復興も進んでいなくて、寂しい町という印象でした。メディアもそういった報道をしますしね。けれど、いざ自分が住むか住まないかと考えながら亮さんと一緒に町を回っていたら、全く違う印象を受けて。こんなにエネルギーにあふれた町だなんて全然知らなかったなぁって。実際に町に来てみて、本当にガラッと印象が変わったんです。その時点でもう、富岡町で暮らすと決めていました。

—小さなお子さんを連れて富岡町で暮らしてみていかがですか?

亮さん:正直、原発の問題もあるので、妻はとても悩んだと思います。でも、僕は家族でここに住めたらとても素敵だなと思っていました。何より、少人数教育が素晴らしいんですよね。学校はもちろんですが、地域みんなで子供を応援してくれます。都市部ではなかなかないことですよね。

香織さん:最初は不安もありましたが、富岡町にも移住者が多いということがわかったので、不安は徐々になくなりました。子育てをしている同世代の移住者がいたり、たくさんママ友ができたことにはビックリしました。お互いに助け合うという空気が出来上がっているというか。人口が少ないからこそ、みんなで町を盛り上げていこうという雰囲気も強く感じますし、人と人が繋がりやすいのかなと思います。

認定こども園があるのも心強いです。9:00〜15:30まで預かってもらっています。各家庭の事情に合わせてくれるので、17:30まで預かってもらっている方もいらっしゃるみたいです。

この町を選んで生きていく

コットン

―「ふたすけ」では、どのようなお仕事をされているんですか?

亮さん:よろずの相談ごとを受けている感じですね。移住定住を考えている方の相談にものります。子供のいる方だったら「じゃあ、こども園見にいきましょう」とか、農業に興味のある方だったら「農家の○○さんのところにいきましょう」とか。その方のオーダーに合わせて、富岡町を紹介しています。富岡町で職を探したいとか、住む場所を探したいという人も大歓迎です。

—コットンの栽培もされていますよね?

亮さん:はい、まだ2年目ですが。農薬まみれ、化学物質だらけのコットンを衣料品に使って子供がアレルギーになるという問題を、オーガニックコットンなら解決できるし、環境教育にもなります。コットン栽培のワークショップを開けば、町外からも人が集まってきてくれるので、コミュニケーションツールにもなります。糸つむぎや機織、草木染めも勉強中です。富岡産のコットンは風評被害の問題もあってまだ商業化するのは難しいのですが、我々でできることから始めていこうと思っています。

—これからの富岡町に期待することは?

亮さん:生産者や住民が元気な地域になってほしいですね。原発事故の教訓を踏まえながら子供たちを教育して、元気な住民であふれる町になるといいなと思います。

香織さん:復興作業のために来てくださっている人は数年で帰ってしまう方も多いので寂しいですが、そういった人たちにも「富岡はすごくいい町だった」と言ってもらえるといいですよね。私自身、すごくこの町のことが大好きになったので、富岡町の魅力を伝えていきたいと思っています。ただ新しいものを作るのではなく、住民の方々の思いを一緒に乗せて、まちづくりをしていきたいです。

抱っこ

—最後に、移住を考えている方に向けてメッセージをお願いいたします。

亮さん:「どこに住むか」を自分で選べるというのは、すごく幸せなことだと思います。そして、移住した先で自分が主体となってその町を良くしていくということも、すごく幸せなことです。どんな場所でも、必ず良いところは見つかりますし、自分たちで良いところを作ることもできる。今の富岡町は、「この町がいい! ここに住みたいんだ!」と言って暮らしている人であふれています。そんな地域は、日本中探しても少ないんじゃないでしょうか。それはやはり震災があったからというのも大きいと思います。だからこそ生まれた「地域を愛する人だらけ」の町です。一緒に富岡町を愛する仲間になっていただけたら嬉しいですね。

香織さん:最初は、子供を連れて移住していいんだろうかと不安でした。でも、実際暮らしてみて、家族で移住して正解だったと思います。不便なこともありますが、それを含めてとてもいい町だと思います。自然環境も素晴らしいですし。そして何より、町を再生させようと頑張っている大人がたくさんいます。「古里を守り抜く! 二度と古里を離れなくていいように、みんなで一丸となって頑張る!」 と奮闘している大人たちの背中を見て子供たちは成長していく。地域への愛、自分の故郷への愛をもった大人たちの背中を見せながら子育てできるなんて、とてもすごいことだと思うんです。今では、ここよりいいところが他にあるかしら?と思うくらい富岡町が大好きです。

文:地域おこし協力隊 遠藤 真耶


鈴木 亮さん・香織さん・郷ちゃん

「ふたばの助っ人」として地域の問題解決のために動く、よろず相談所「ふたすけ」を立ち上げる。町内ツアーのコーディネートや地域団体のサポートなどを通し、富岡町の魅力を発信しながら、困った人たちに日々手を差し伸べている。子供の名前は、「故郷」にちなんだ「郷(きょう)」ちゃん。ひまわりのような笑顔でみんなを癒してくれるの女の子。

LINE instagram instagram
お問い合わせ To top