REPORT&MESSAGE

あなたへ、地元のみんなから

折田 真紀子さん

みなさんが繋がりを持って暮らして行けるといいな

長崎生まれの私が考える「放射線」

私は長崎県長崎市の生まれで、ずっと長崎で育ちました。長崎は皆さんご存じの通り、先の戦争で原子爆弾の被害にあった場所です。今でも多くの被ばく者の方が暮らしていますし、子どもの頃からの教育もあって“放射線”は身近な存在ですね。福島第一原発事故があり、放射線という言葉がだいぶ日本中で認知されるようになったと思いますが、長崎で暮らす人たちにとっては「ある日突然降ってきたもの」という印象は薄いのではないでしょうか。ですので、原発事故は長崎の方にとって他人事ではなく、事故によって苦しい思いをしている福島の人たちに思いを寄せる方が多かったと思います。

福島との関わり

私は看護師や保健師になりたいという目標があり、長崎大学の医学部で学びました。卒業後に一度は職に就きましたが、もっと放射線の学びを深めたいと思い、大学院へ進学することにしたんです。その入学を4月に控えているときに、東日本大震災が起きました。長崎は被ばくの地ということもあり、そこにある大学として力になりたいと考えたのだと思います、多くの先生方が福島へ支援に向かい、大学には人がいなくなる、そんな状況でした。当初は、福島県立医科大学と一緒に福島県全体の放射線被ばくについてのフォローアップをしていましたが、時間の経過と共に双葉郡に軸足を置いて活動するようになります。川内村が2012年の4月からの帰還を決め、それに伴い長崎大学が川内村で活動することが決まり、実習の一環として参加しないかと話を頂きました。それが私と福島が関わるようになったきっかけです。それまで、東北どころか東京以北へも行ったことがありませんでしたが、初めて福島の地へ足を踏み入れました。2012年の3月のことでした。

放射線に対する向き合い方を考える

初めは川内村、その後は富岡町、そして今は双葉町でも活動をしていますが、私が主に行っているのが「放射線に関するリスクコミュニケーション」です。放射線の知識を“教える” “指導する”といったスタンスではなく、そこで暮らす方と話をしながら、どういったことを疑問に思っているのか、不安に思っているのか、相談に乗ることです。

放射線は目には見えませんが測ることはできます。そうした数字の結果を基に話をする中で、放射線とうまく付き合う方法を見つけたり、不安が少しでも和らいでくれればいいなと考えています。原発事故当初は、放射線に対する知識があまり浸透していないため混乱があったと思いますが、時間が経つ中で、福島の方や双葉郡の方は放射線への知識がだいぶ深まっていると感じています。

富岡町の変化を見つめて

2012年に川内村で活動を始めた時は、富岡町はまったく立ち入ることができない地域でしたね。バリケードが撤去され、日中の立ち入りができるようになってから、初めて富岡駅前に伺って、津波の爪痕がそのまま残っているような状況にすごく驚いたのを覚えています。やっぱりそういった光景を見た経験があるので、今はだいぶ変わったと思いますよ。

「まだまだ復興はこれからだ」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、目に見えて、子どもを含めた人の数が増えていますし、私個人としては「復興してきているな」と感じます。そしてその人の中に多様性が増えているとも感じています。元々町民ではなかった方が新しいことを求めてやってきたり、様々なバックグラウンドの方が増えていると思います。私自身もその多様性の一人として富岡町に住んでいるという意識は強く持っています。だからこそ、町の様々な活動や動き、どんな方が住んでいるのかとても関心があるんです。

私の富岡ぐらし

私は2022年の10月から富岡町で暮らしています。2013年から3年間は川内村で暮らしていた時期もあったのですが、それ以降は福島と長崎を行ったり来たりの生活でした。2021年に第一子を出産し、そういった生活が難しくなり、どちらに生活の基盤を置くか悩みました。結果として、こちらで活動した方が、より住民の方に近いところで仕事が出来ると考え、家族で富岡町へ来ました。暮らしてみて感じるのは「子育て世代に優しい」ということですね。公的サービスもそうですし、周りの住民の方々が気軽に私や子どもに声をかけてくれたりもします。

子ども園の帰りに、トラクターに乗った方が「おっ、坊ちゃん乗っていくか」みたいな。子どもは「乗らない!」って言うんですが(笑)。そういう声かけはやっぱり救われますよね。子育て世代って、どうしても孤独になりやすいので。仕事柄、住民の方とお話する機会は多いのですが、プライベートでは自分から声をかけるのはなかなか難しいんです。だから自然とそういう声をかけてくれるとか、気にかけてくれるっていう周りの目があるのは、ここで過ごしていて良い所だなって思います。他の町でもあるとは思いますが、信頼のおける人から、定期的に声をかけていただけるのは、子育てにとって優しく良い環境だと感じます。

子どもとのんびり過ごす週末

休みの日は、地域の方のお宅に子どもと一緒にお邪魔させてもらったり、双葉郡内の子育て施設を巡ったり、のんびり過ごしています。

富岡町には「富岡わんぱくパーク」がありますね。天候を気にせず過ごせるので、とても助かります。隣の楢葉町の「天神岬スポーツ公園」もよく行きます。芝生の広場がとても広くて気持ちいいんです。あとは川内村にも馴染みがあるので足を運びますよ。温泉がありますし、小さい子が入れるプールもあるんです。屋内、屋外に限らず、双葉郡内でいろいろ楽しんでいます。

富岡町のこれから、双葉郡のこれから

私自身、ここでの生活で困っていることが少ないので、そういう意味で満足感はあります。そんな風に「住んでよかった」「戻ってきてよかった」「富岡町最高だね」と思う人が増えていけばいいなと思いますし、他の双葉郡の町村もそうなって欲しいです。私の仕事や活動も、そういったことに一役買いたいと思っていますから。

富岡町は、放射線に関しての情報発信をすごくしていて、モニタリングも、様々な機械使って測定しています。放射線のことに対して不安があったら、町に相談してみてください。私も力になります。以前からお住まいの方、新しく来られた方、そして次に新しく来られる方、みなさんが繋がりを持って暮らして行けるといいなと思います。


折田 真紀子さん

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